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山下良平インタビュー



12月10日からスタートした、山下良平個展「HOPE」のギャラリートークをテキストにまとめました。画家、山下良平のヒストリーと「躍動」の絵画の魅力を語っています。動画と共にお楽しみください。


 

山下良平
画家・イラストレーター

福岡生まれ神奈川在住。九州芸術工科大学卒。福岡でのストリートアート活動を経て、2002年、神奈川県に拠点を移し本格的に創作を開始。代表作はサムライ、アスリートシリーズ。最近の主な実績は、東京メトロ外苑前駅パブリックアート、セーリング五輪日本代表チーム公式ビジュアル、アキレス「瞬足」アートワークなど。国内外の展覧会にも精力的に参加。2015年、アートフェア「UNKNOWN ASIA」にて「イープラス賞」受賞。

 



チグニッタスペースでのギャラリートーク。 12月11日

路上で似顔絵を描いて

お金をもらえる喜びを知った。


谷口:昨日からスタートしました山下良平個展「HOPE」の作品を前に、山下作品の魅力と、山下さんのこれまでの活動を丸裸にするトークをしていきたいと思います。 僕は山下くんとはずいぶん長い付き合いですけど。笹貫さんは原画を見るのは初めてですよね。

笹貫:はい、今回山下さんの作品を見るのは初めてですが、すごい迫力ですね。もう原画が到着した段階からすごいオーラを発してましたよ。チグニッタスペースのフィナーレ、今年最後の展示ですね。

谷口:山下さんは博多出身のイラストレーターとして、画家としてたくさんのお仕事をされて来たと思いますが、そもそものキャリアについてそのスタートから「山下ヒストリー」を教えていただきたいんですけど。


山下:きっかけは路上で、似顔絵なんですけど、道ゆく人の顔を描いたりとか路上販売をしていたんです。博多の天神と言う大きなバス停でした。芸能人の似顔絵などを広げて胡散臭い商売をしていました。笑。

学生時代、学園祭の模擬店とかで初めて似顔絵を出したんです。目の前の人を描くことで、ワンコインもらって。絵を描いてお金をいただける喜びを初めて知ったんです。

絵はずっと得意だったんです。この勢いで学園祭の後、すぐ路上に出ました、当時、似顔絵描きが珍しかったのか、路上ライブみたいな感じになって、目の前にお客さんがいて、周りにギャラリーがいて、描いた絵を見せて「できました〜」「ウォ〜」みたいな感じで。20年ちょっと前ですけど、夢のような時間が天神にはありました。いまでは法的に厳しくなってそんなこともできなくなってきましたけれど、それができた最後の時代だったと思います。天神はその頃、似顔絵とか占いとかアクセサリーとか、ちょっとしたマーケットみたいな感じでしたね。

それが九州芸術工科大学の3年生、4年生の頃でした。芸工大ではビジュアルデザイン全般をやってまして、僕は4年生で映画や映像の専攻でした。ですから学生時代は絵を描くと言うよりもビデオカメラを回しているイメージが強かったと思います。ちょっとしたミュージックビデオを作ったりとか、ショートフィルム作ったりしていました。

実はCMの会社に就職も決まってたんですが、似顔絵に出会ってしまったんですね。似顔絵は個人で制作するもの、映像は集団芸術なので、自分が暴走してしまうことがあるんですね。自分が周りのペースを乱してしまうことがあったりして。だったら絵の方が僕に向いてるのではないか、一人で自分の世界を構築していく世界の方がいいんじゃないかと感じたんです。楽しかったんですね。絵でお金をいただいたり反応をもらったりするのが。

谷口:美術の専攻をして絵を学ぶとか、デッサンをするというのではなく、アウトサイダー的に絵の世界に入ったのですね。

山下:そうですね。絵に関してはエリートコースではなかったですね。ほぼ独学です。自習型でしたね。自分で表現方法を模索しました。

谷口:とはいえ、似顔絵はパフォーマンスの要素も必要でしょ?そっくりに描くことはもちろんですが、面白くデフォルメしたり、お客さんとのやりとりや営業センスも必要でしょ?

山下:まずはお客さんが前に座ってくれないと話にならないので、看板とか作画例とかアイテム作りにすごくハマったんですね。芸能人とか有名人の絵をまず並べて、あとは飛び道具として、エアスプレーで描くパフォーマンンスを見せて、描き方を見てもらって楽しんでもらうことを重視してましたね。

谷口:聞くところによるとその「似顔絵」のコンテストでものすごい賞を獲ってるんでしょ?

山下:はい、アメリカというのは似顔絵のメッカで、年に一回全米から似顔絵だけで生計を立てているアーティストが集まる大会があるんですね。僕が参戦した時は、ラスベガスのホテルのホールを借り切って、そこで何百人のアーティストが1週間ぐらい、寝る時間も惜しんで、ひたすらお互いの顔を描き合うという。全米だけではなく、日本や韓国、アジア各地からも集まる世界大会に参加しました。いろんな部門があるんですけど、その大会で一番いい似顔絵を描いた「作品賞」という部門で1位になりました。

谷口:すごいですねー。それだけすごい賞をもらいながら「世界の似顔絵師、山下良平」っていまなっていないところが面白いよね。

山下:そうですね。絵で人物を表現するジャンルでそれなりの評価をいただいたことは嬉しかったですが、それだけで勝負しようとは思ってなかったですね。


FM802 「ROCK THE SUMMER」キャンペーンポスター


カンプライターからdigmeoutへ。

イラストレーターから画家へ。


谷口:山下さんの次のステップを教えてください。博多から関東に引っ越したんですよね。

山下:はい、似顔絵の仕事でイベント事務所に入り、そこが関東にお店を出すということになりまして、事務所の方針で横浜に引っ越しました。2002年です。作品制作も少しずつ始めました。当時はコネもなかったので受けれる仕事はデザインからイラストから全てネットで受けて。当時一番多かったのは商品見本、カンプですね。技術的には自信があったので、カンプライターの仕事を3年間ずっとやってましたね。

カンプライターをやっていると、安く早くできる人優先で仕事が回ってくる世界にいて、ずっとジレンマがありました。その後、カンプの仕事自体が少なくなってきて、生活できないぐらいまで落ちて、そこでふと自分を見つめ直して。今まで自分が描き貯めていたアイデアを一気に作品として描き出したんです。仕事が一旦途絶えたので絵を描く時間ができたんですね。その時間がなかったら、いまでも「カンプライター、山下」だったかもしれません。

それで、できた20作品ぐらいを一気に発表してみようと思いました。いろいろネットを見て、オランダにあるアートサイトに作品を投稿して、評価されるようになってきました、作品を描いてはサイトにアップして評価してもらってというのをずっと続けてました。

その流れで、digmeoutに行き着いたんです。それまでにdigmeoutのメルマガにも登録していたこともあって、「本日からdigmeoutがネット上でオーディションをはじめます」というメールニュースが届いたんですよね。朝メールニュースが届いてから、すぐ作品登録をして、そしたら昼には谷口さんから連絡が来ましたね。笑

谷口:「オーディションエブリデイ」ですね。FM802のアーティスト発掘サイト「digmeout」が当時行っていたネットオーディションです。山下さんの話で思い出したのだけど、僕らも「アーティストに対してもっと何かしなければ」と思っていた時期だったんですよ。年に1回の展覧会のオーディションだけじゃなく、「毎日がオーディション」というのを始めたんですよ。「ホームページアドレスさえ送れば、作品を見ますよ」みたいな触れ込みでね。どんどん投稿があったのですが、その1番目か2番目に届いたのが山下さんの作品でしたね。そら連絡するわと。

で、その夏のFM802のキャンペーン「ROCK THE SUMMER」のビジュアルをお願いして、いきなり万博の「MEET THE WORLD BEAT」のビジュアルになり、日産の車にペイントもされてすごいもりあがったよね。ギャラも出て、大阪まで招待してもらって、万博公園では2万人の観客の前にズラーっとビジュアルが出てて。。。

山下:野外ライブの出演者にもお会いできましたね。藤井フミヤさんとか中島美嘉さんとかいきなり芸能界みたいな感じで。笑。スーパーフライさんともお話できました。


NIKE ID “WAZZAWALL”ビジュアル(2008)

谷口:その後もナイキの仕事をお願いしたりして山下さんとの付き合いが始まるのですが、当時はデジタルですよね、山下さん。とにかく仕事が早い!

山下:カンプライターですからね、笑

谷口:ですね。笑、流石に鍛えられていて、咀嚼力がすごいし、早いし、スポンサーに安心してプレゼンできる逸材がきたなと。一時期、隙あれば山下を使おうというぐらい仕事をしてもらった記憶があります。その当時は山下くん「イラストマスター山下」っていうキャッチフレーズを使ってたと思うのだけど。

山下:そうですね。職人的な意味合いもありましたね。

谷口:ナイキの仕事を一緒にした時にアメリカ村の「digmeout ART&DINER」で山下良平の初個展をしたんだよね。その時はまだデジタル作品でしたよね。

山下:あの時は自分の中ではハイブリッドの時代で、デジタルで描いた作品をプリントしてその上から加筆する方法でした。残念ながら絵は売れなかったけど、その辺りから「画家、山下良平」を意識するようになりました。

当時、絵というものは注文を受けてお金をもらう以外にはない、と、思っていたのです。自分の作品そのものを展示して売るというのは、自分とは関わりのない世界だと思っていました。でも個展をさせてもらったことによって、自分の絵をわざわざ観に来てくださって、意見をもらったりファンになってもらったりすることを経験して、この思いがいつかはお金に換わる時がくるのではと思い出したのですよね。

アメリカ村の初個展では作品は全く売れなかったけど、作家活動は続けてみようと決心しました。最初に絵が売れた時はものすごく嬉しくて、もうとんでもないですよ。あの嬉しさというのは。ものすごくテンションが上がって、このために仕事できるなら作家活動いいなと。もちろんいいいことばかりじゃないけれど、この瞬間があるならやれるなと思いました。個展を重ねるうちに、少しずつ売り上げも上がっていくようになりました。


「躍動」という言葉は、

お客様からもらった感じです。


谷口:山下くんのキャッチフレーズのひとつとして「躍動を描くアーティスト」というワードがあるのですが、その「躍動」について自分で思ってることを教えてさい。 山下:「躍動」という言葉自体は自分で気づいてなかったんです。作品を発表しはじめて、みんなから帰ってくる言葉が、「山下くんの絵は躍動感があるね、動きがあるね」といわれて、見返してみれば「そうだな」と。気持ちよくて描いたものが結果そうなってると。「躍動」という言葉をこれからも自分の売りとして使わせて戴こうと。「躍動」という言葉は、お客様からもらった感じです。 谷口:実際に山下さんはアスリートだったんですよね。 山下:中学高校と短距離やってました。そこで観た景色とか実際に走りながら見える世界とか動きの細かい部分には嘘がないと思っています。



山下良平画の雑誌「Tarzan」表紙

谷口:山下さんの有名な仕事に「Tarzan」の表紙があるのですがもう何号も描かれてますよね。

山下:はい、「Tarzan」の仕事が自分の世界を開いてくれました。

谷口:躍動を描くアスリート画家としては「Tarzan」は目標ですよね。どんなプレゼンをしたんですか?

山下:最初「Tarzan」との出逢いは「医学イラスト」なんですよ。カンプライターの時代から、病院の先生からの依頼で筋肉とか骨とかも描いていたんで、それを見ていた「Tarzan」の担当者から最初にいただいた仕事は筋肉の絵だったんです。図解に近いイラストでしたね。

谷口:カンプライターからあの躍動感溢れる表紙までのプロセスを教えてください。

山下:最初2003年に筋肉の絵を描いて、表紙を描くのが2011年、8年かかりました。その間もずっとカットイラストの仕事はもらいながらも、やはり作家として2008年以降ですよね、描く絵も変わってきたのだと思います。それを見てくれていた担当の方から「じゃあ表紙、お願いします」と言われて、そりゃもう嬉しいこと。笑。表紙ですよ!それから、もう6枚ぐらい描かせてもらっています。

谷口:そこで躍動の山下と「Tarzan」というものがキチッとブランディングできたのですね。

イラストレーターというのは依頼をもらって絵を描くものでありながら、自分の描きたいものを描きつつ仕事がもらえる画家という世界もある。前回、さくらいはじめさんとギャラリートークした時、彼は「作家とはいいながら見る人にサービスしてしまう。作家とイラストレーターとの間で絵を描いている」と言ってましたが、山下さんはどうですか?

山下:そうですね。僕もさくらいさんに近いと思います。僕はもともと路上アーティストとして、お客様の喜び処をさがすのが好きなんですよね。ちょっとここを誇張すると喜ぶなとか、お客さんの趣味を加えると喜んでもらえるとか、最初の絵師としてのサービス精神がイラストレーションやクライアントワークに活きていると思います。ただそっちにばかりいくわけではなく、自分の軸としての表現を見てくださった方との共通認識のなかから、躍動感とか、光に満ちた世界を理解してもらえた方とする仕事が今は一番嬉しいです。


山下良平デザインの横浜マラソンロゴ2015とイメージイラスト

谷口:その一連の仕事で言うと、山下さんの「横浜マラソン」の仕事というのがとても素晴らしいと思うし、山下くんのブランドとして展開されて来たと思うのですが、あれはどんな感じだったんですか?

山下:「横浜マラソン」は2015年から一般市民も参加できる大会へと変わったタイミングで、コンペの依頼が来たんです。シンボルマークのデザイナー候補の一人として入って。で、コンペに勝って採用され、その時に「絵も描けますよ」と、担当者にアピールしたんです。「Tarzan」の表紙もやってますよと。ポスターもやらせてください、とプレゼンしたら「ハイ」と言ってもらえて。笑。

結局、マークからメダルを含め、ポスター含め全てのブランディングをやらせてもらいました。2015年から2021年まで。ゴールの現場でライブペインティングもさせてもらいました。


スターバックス コーヒー エキマルシェ大阪店壁画

谷口:ライブペインティングも山下さんの大きな特長でもありますよね。大きな絵を描けるのも山下さんならでは、と、思っていて、僕もスターバックス の壁画の仕事や、ナイキの本社の会議室の壁画をお願いいたりしてきましたが、こう言った仕事にシフトしてきた経緯というものを教えてください。

山下:サマーソニックの現場で2009年に会場で絵を描くという「ソニックアート」という企画があって、そこに選ばれたんです。そこから大きな絵を描き始めました。そこで直にライブに来たお客さんが観るからまさに自分がロックスターになった気分ですよね。そこで音楽にリンクした絵を描いたりするとすごく反応が良かったりするし、その経験も後の壁画に活かされてきたと思います。そのタイミングで呼んでいただいたのがスターバックスの仕事でした。

大きな絵は本当に体力勝負です。毎日クタクタです。せっかくスターバックスの仕事で大阪に来たから、毎日おいしいものを食べようと思って来たのに、1日の作業が終わったらコンビニで弁当買って寝るだけです。 1週間、壁との格闘でしたね。それぐらい魂をぶつけた作品です。



ナイキジャパン本社 会議室壁画

谷口:笹貫さんにここまで聞いていただいて、山下良平の勝ち上がり方というものを知っていただいたとおもうのですが、山下くんのやって来たことのなかに、クリエイターに役立つヒントがたくさんあると思うのですよ。

笹貫:実際に山下さんとお会いするのは今回が初めてで楽しみだったんですけど、一見クールな感じですが、自分のやりたいことを、あきらめずに続ける「アツい人」なんですね。2003年の医学イラストが8年かかって「Tarzan」の表紙になったという話に感激しました。もともと映像の勉強をされていたとうことで、この躍動感にはそういった影響もあるのかなと思いました。

あと昨日、展覧会の初日に打ち合わせでチグニッタに来てくれたアーティストの方が、山下さんの展示作品を一目見て「ナイキジャパンの本社で見ました」と即座に仰って。毎日たくさんのものを見ているなかで、それだけ作品が強烈に印象に残るってことが山下さんの実力ではないかと思いました。初めてなことなので学ぶことばかりですね。

山下:ありがとうございます。そう言っていただいて嬉しいです。


湘南のアトリエでの制作風景

儚い瞬間が永遠に続いてほしい。

そんな気持ちを「HOPE」に込めました。


谷口:さて、今回の展覧会「HOPE」ですが、東京、博多と回って来て、僕も代官山での展覧会を見せていただきましたけど、これまた山下さんの大きな転換期になったと思ったのです。作品のサイズも大きくなったし、値段もしっかり上がっている、しかもお客さんの反応もよく結果も出ていると。これは作家山下良平として一皮剥けたのではと思ったのですが。今回この展覧会「HOPE」にかけた想いというか、決意を教えてください。

山下:自分の描く「躍動」は、瞬間を描くじゃないですか。その儚い瞬間、輝ける瞬間が永遠に続いてほしいという願いを込めて「HOPE」とつけました。「躍動感」や「迫力」の裏にはそういう思いがあるっていうことをこのタイトルに込めてみました。山下作品をより一層深いレイヤーで見てもらえるきっかけになればと思っています。

東京の展覧会で一番嬉しかったのが、作品が思ったより売れたっていうことですね。だいたい個展が終わると「持って帰るのどうしよう」とか「余ったらどうしよう」って考えるのですが。笑。東京の2020年の「HOPE」の展示では7割ぐらい売れたんです。家に持って帰るのがこんなに少ない展覧会は初めてで。笑。さらに今年1月博多でやった時は9割売れたんです作品。ほとんど在庫がなくて。

谷口:大阪めちゃプレッシャーです。笑

山下:お願いします!笑。

続けることってこういうことなんだと実感したのが一連の「HOPE」展で感動したことだし、手応えもすごく感じました。

谷口:僕も東京の展覧会で山下さんの作品を前にして「これは今回、気合が違うな」という感じがしてたんです。なのでその時点では、チグニッタでギャラリーを作ることも決まってなかったのに「大阪、うちでやりましょう」ってオファーしたんだよね。今回それに応えてくれてこの展覧会になったわけですよ。皆様には、後でまたじっくりと作品をご覧いただきたいのですが、今回、一連の「HOPE」展にはなかった新しい展開があるんですよね。


キングダムのコラボ作品の前で

「キングダム」とのコラボ作品。 原先生から直々にオーダーをいただきました。


谷口:この漫画「キングダム」とのコラボ作品、すでにtwitterをはじめいろんなSNSでも話題となっていて、これを目当てに展覧会にお越しの方もたくさんおられますが、どうしてこんなことになったのか教えてください。

山下:そうですよね。異色ですよね。どうしてこの展示に王騎とか信の絵があるんだろうって思いますよね。勝手に描いてるわけじゃないんです。笑 これは「キングダム」の作家、原泰久先生から直々にオーダーいただきまして、描かせてもらった2作品なんですよ、はい。びっくりしますよね。なんで原先生から?ってね。

ぶっちゃけますと、原先生が僕のファンなんです。笑。実は原先生と僕は同じ大学(九州芸術工芸大学)の卒業生でして、原先生が僕の2個下で、学生時代には交流はそんなになかったのですが、2018年に大学50周年の大きな同窓会があって、何人か登壇して卒業生ディスカッションをする中に僕と原先生がメンバーに含まれていて。すごく緊張しました。当日控え室で、原先生にどうやって声かけようかと思っていたら、先生の方から「山下良平さんですか?」て聞かれて「ずっと絵を好いておりました」って言われて。笑。「え、マジですか」ってなりました。

先生に、僕の絵の躍動感とか光や色の表現がすごく好きだと言われ、その理由までちゃんと教えてくださって。僕も先生に聞きたいことがたくさんあったのに、逆に質問攻めでした。「アクリル絵の具の使い方を教えてください」とか「どうやって色彩計画を立てるんですか」とか、いろんな質問をされました。本当に嬉しかったです。原先生に質問されることで自分の頭の整理にもなったし「自分がどうやって絵を描くか」ということをあたらめて意識することができました。それが原先生とぼくが親密にさせていただくことになったファーストコンタクトです。

その後「いつか、なにか一緒にコラボできたら」という漠然としたお話はいただいていたのですが、なかなか実現には至らなかったんですよね。今年「キングダム」の連載が15周年という節目もありますし、何か記念になるコラボができればという話を先生からいただきまして、そのきっかけとなる作品として、まずはこの2点を制作しました。作品の反応を見ながら、また次の展開が生まれてくると思います。

制作に関しては特に先生からリクエストがあったわけではなくて、「山下さんが思うように自由にキングダムを描いてください」と言われて、それからちゃんと漫画を読みかえしました。笑。



谷口:キングダムの他にも、この個展には海の絵があって、これまでの山下作品の「躍動」とは違うアプローチがあるような気がするのですが。 山下:実は横浜から湘南の藤沢市というところに引っ越して、歩いて15分ぐらいで海に行ける江ノ島が見えるような場所でして。こんなに生活に海が関わるというのも人生で初めてで、自ずとモチーフに海が少しずつ増えてきました。 谷口:僕はこの作品をアトリエで見せてもらいましたが、寄せては返す波というものが、それぞれが一瞬であってもずっと繰り返すというそういった刹那も、先ほど山下くんがいった「瞬間」というものとリンクしてくるのはないかと感じたんですよね。 山下:僕のなかで人物が入っていない絵ってほとんどないのですが、今回、勇気を出して「Blue Ocean」という作品で人物をなくしたんですよ。「湘南」といえばすぐ「サーファー」というイメージもあって、ちょっとサーファーを絵に入れれば買ってくれる人も増えると思うんですけど、笑。そこは我慢して、「海と自分」というテーマで描いてみました。海の色や、水面の様子を、自分のストロークだけで表現してみようと挑戦しました。 谷口:僕もこれはずっと見ていられる絵の一つだな、と、思って、こうして壁にかけられて対峙するとさらにいいなと思いますね。 さて、山下良平2021年はこの個展でフィニッシュだと思うのですが、来年はどのような年になりますか? 山下:基本的に自分から何をしたい、というのはあまりないんですよね。ただ、その節目節目で出会う方々とか受ける話で次が決まることが多くて、いまは「キングダム」の話が大きくて、来年どう化けるのか楽しみです。あと、とあるすごく大きな映画の美術に僕の絵が使われたりする予定もあります。 谷口:すごいですね。今山下作品をコレクションしないと、もう美術館でしか観ることができなくなるかもね。笑。最後に一言お願いします。 山下:今日は本当にありがとうございます。こんなにたくさんの方に集まっていただき、ロックスターになった気分です。笑。



アトリエ近くの湘南の海辺、自らモデルのポーズをとる。



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